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「観光アシスタントひろしま」は広島を心から愛する人たちが自主的に運営しているボランティア団体です。

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文化・芸術・自然公園【比治山で楽しむ】

 



文化芸術が楽しめる都市型自然公園(平和の丘)



平和記念公園から東へ約2kmの距離に位置し比治山は、小高い丘の上にあり、ここから広島市内や瀬戸内海が一望できます。園内には日本の伝統的な建物「蔵」をイメージした「広島市現代美術館」や漫画の歴史をたどりながら漫画を楽しむことができる「広島市まんが図書館」などの施設のほか、野外に彫刻などが多くみられ芸術公園としても有名です。公園内はたくさんのそのままの自然に溢れており、四季折々の草木が林の中に折り重なり散策する人たちを心から癒してくれます。広島の桜の名称の一つとしても有名で、約1300本の桜が咲く季節には多くの人がその美しさを求めて、比治山公園を利用します。標高を生かしてデルタ市街地の街並みなどを一望できます。比治山は太古の島々~江戸自体の街並みの形成~そして軍都・原爆による破壊~現在に至る復興の様をこの東の丘からつぶさに直下で見続けたに相違ありません。



美術館・彫刻・文芸

比治山公園は、古くから桜の名所であり、現代美術館等の文化施設を有するとともに、公園の隣接地には、戦没者の遺骨が葬られた陸軍墓地や、被爆建物の頼山陽文徳殿があります。また、平和記念公園から約2kmの距離に位置し、都心にありながらも緑豊かな自然に触れられる場所であり、その標高をいかして、原爆の惨禍から復興したデルタ市街地の街並み等を一望できます。


【広島市現代美術館】建築設計は黒川紀章氏によるもので、古代ヨーロッパを思わせるアプローチプラザ、外観の三角形屋根は日本の蔵を思わせます。公立では日本で初めての現代美術を専門に扱い収集展示しております。


【広島市まんが図書館】国内で唯一の公立の漫画図書館です。昭和初期の貴重なものから新刊まで、緑に囲まれた館内でゆっくり読むことができます。特にお休みの日にはご家族連れで一杯です。


【野外彫刻;疾風】野田正明 出身地:広島県福山大阪芸大卒業。弧を描いて交差する造形が、流れや浮遊感を表しています。


【室外展示:ヒロシマ・鎮まれし】40体の背中は物言わぬ抜け殻となって座る。皺や傷など全て異なる表情を見せ、人が背負う悲痛な宿命を想起させます。


【彫刻の小道:ポケット】佐藤忠良 出身地:宮城県。身近な人物たちをモデルにして、生命みなぎる作風で知られる彫刻家のようです。


【文芸の碑】碑文には、「比治山をはぐくみ、見まもってきました私たちは、広島とひろしまの文芸の発展を願って ここに碑を建てました」とあります。




比治山は絶景散歩道です

登り口は沢山ありますが最近は東側のショッピングセンターから登ることが多いようです。ふもとから比治山公園までの高低差37.5mを、動く歩道とエスカレーターに乗って気軽に登ることができます。比治山スカイウォークは広島市南区の段原地区にかかる全長207.4mの立体遊歩道です。広島市街のすぐそばにある比治山。稜線を歩くと、街並み、森の静けさ、そして広島湾へと景色がゆっくり切り替わります。展望台だけで終わらせない、歩いてこそ味わえる広島の絶景散歩道です。


【スカイウォーク】ふもとから比治山公園までの高低差37.5mを段原のショッピングセンター3階から比治山公園の入口へ幻想的な風景の中に浮かび上がってきます。


【G7サミイト記念碑】広島市で2023年5月にあった先進7カ国首脳会議(G7サミット)に出席した首脳たち9人が被爆地に残したメッセージを刻む記念碑9基。


【富士見台のサクラ】比治山はサクラの名所として知られています。富士見台からは市街地を見渡したり。ちょっと足を止めて眺めてみてはいかがでしょう。


【ムーアの彫刻】ヘンリー・ムーアの彫刻"アーチ"の展示にちなみ"ムーアの広場"と呼ばれる。この場所は、現代美術館前に位置し、お花見シーズンに限らず、グループで集まります


【御便殿跡】御便殿が移築された比治山公園は、戦前から桜の季節には花見客で賑わい、比治山と言えば御便殿と言われるほどになりました。


【御便殿跡】「御便殿(明治天皇の休息所)」は、広島市が譲り受け、比治山公園に移築した。周辺には桜が植えられ、桜の季節には花見客で賑わった。被爆により建物は焼失した。


【緑に囲まれた散策道】街中にある緑豊かな小高い丘、比治山(標高71m)。自然そのままの木々に包まれた楽しめる散策道になっているほか、未舗装の登り道もあります。


【雲霓橋】比治山公園の北と南を8の字に周回する交差の要です. 四季折々の散策. 街中にある静かな森に四季様々な草木と野鳥に出会えます。




軍都から被爆広島へ

「明治維新」後の広島は、陸軍の「第五師団」が置かれ、「宇品港」の開港、山陽鉄道の「広島駅」の開業を経て、「日清戦争」時には軍を指揮する「大本営」も東京から移された。また「鎮守府」が置かれた呉も『海軍のまち』として大いに発展した。しかし、「軍都」であった広島は「太平洋戦争」では原爆投下の目標となり、壊滅的な被害を受け、多くの人命が失われた。『75年は草木も生えぬ』と言われたが、驚異的な早さで力強く復興を遂げ、現在では恒久の平和を願う「平和記念都市」としても知られている。


【多聞院の鐘楼】被爆建物。鐘は戦時中に政府に拠出されましたが、戦後被爆死没者遺族の寄進供養により再鋳されました。No more Hiroshimaが刻まれています。


【頼山陽文徳殿】日本式の屋根はヨーロッパの影響を受けて頑強な鉄筋コンクリート壁で支えられており、原爆も耐えたと考えられます。


【被爆した広島市街地】一発の原子爆弾によって広島の市街地は焦土となりました。市の中心部にはわずかに鉄筋コンクリート造の建物の外郭だけが残っているだけでした。


【復興した広島】75年は草木も生えぬと言われたが、驚異的な早さで力強く復興を遂げ、現在では恒久の平和を願う「平和記念都市」としても知られております。


【被爆したサクラ】頼山陽文徳殿の庭には被爆樹木のソメイヨシノがあります。原爆にも耐え生き残っています。2本の内1本は枯れて撤去されました。


【陸軍墓地】この陸軍墓地は、西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、ノモンハン事件、太平洋戦争で戦死した(沖縄を除く)全国4500名余の墓が一基一基整然と建立されていました。







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