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「観光アシスタントひろしま」は広島を心から愛する人たちが自主的に運営しているボランティア団体です。

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〒730-0036 広島県広島市中区袋町6-36(BOX45)

被爆の実相を知り継承する【世界平和を伝える】

 



被爆者の悲しみと無念な気持ちを世に伝え続けます

今も、
傷ついた被爆者は無念な気持ちをもって生きています。
広島と長崎の被爆は過去の歴史ではありません。
存命の内に深い悲しみから早く平和への希望へと救わなくてはいけません。
そして、二度と被爆者を生んではいけません。

今もなお、原子爆弾を受け深い悲しみを持ち続けている「被爆者」は、二度と同じような悲劇が繰り返されないように、核兵器がもたらす壊滅的な影響をその証言を通じて世界に示し、「核兵器は決して使われてはならない」と強く主張しています。

後の世に何を伝えればよいのでしょうか




国立広島原爆死没者追悼平和祈念館

国として、原爆死没者に対する追悼の意を表し、永遠の平和を祈念するとともに、原爆の惨禍に関する世界中の人々の理解を深め、被爆体験を後代に承継するために建設されました。 地上部の中央には、原爆投下時刻の8時15分を示すモニュメントを設置し、地下2階には、原爆死没者を静かに追悼し、平和について深く思索するための「平和祈念・死没者追悼空間などがあります。遺影コーナーでは、原爆死没者のお名前と遺影を公開し、原爆で多くの人々が亡くなった事実を伝えます。体験記閲覧室では、被爆体験記や被爆証言映像等の資料を閲覧・視聴できます。また、情報展示コーナーでは、企画展を開催されております。

【国立広島原爆死没者追悼平和祈念館原爆の惨禍を世界の人々に知らせ、その体験を後代に継承するための施設です。原爆の死没者と犠牲になった人たちに寄り添って、お話しをお聞き下さい


8時15分と水、被爆がれき日本人建築家、丹下健三氏が設計。地上には円形の壁、被爆した8時15分、死没者が求めた水、そして壊滅消滅した地表には瓦礫が一面に


【平和記念・死没者追悼空間】死没者を静かに追悼し、平和について考える場所です。壁面には爆心地から見た被爆後の街並みを映しています。


平和記念・死没者追悼空間爆心地を示す中央には、被爆時間を表す8時15分のモミュメント と死没者に捧げる水が静かに流れ続けています。


【情報展示コーナー】企画展が都度開催され、特定のテーマに沿って被爆体験記が紹介さ有れております。その体験記と関連オフ会遺品などが展示されております。


【広島平和記念公園内の地層断面】入り口の右奥に、広島平和祈念公園敷地内の地層断面の標本があります。海、三角州、街、被爆焦土化、そして埋め立て平和公園に。




燃料会館【レストハウス地下】


この建物は現在レストハウスと呼ばれ、無料休息所及び観光案内所として使われています。1929年に大正屋呉服店として完成しました。木造家屋が主流の当時としてはめずらしい鉄筋コンクリートのモダンな建物でした。階はショーウインドウのある売り場で土足可能で、屋上は市内が一望できました。その後、戦局の悪化に伴い呉服店は閉鎖され建物は広島県燃料配給統合組合に買収され、名称も「燃料会館」になりました。爆心地の近くにありながら、強固な建物があり、当時は爆心地側に開口部がほとんどなかったため、大破を免れることができました。その日37人が出勤していましたが、地下室にいて奇跡的に生き残った男性一人を除いて全員が犠牲となりました

【燃料会館の地下】爆心地の近くにありながら、強固な建物があり、当時は爆心地側に開口部がほとんどなかったため、大破を免れることができました


【生き残り体験記】その日人が出勤していましたが、地下室にいて奇跡的に生き残った男性一人を除いて全員が犠牲となりました。壁面にその一人の体験記が展示されております




韓国人原爆原爆犠牲者慰霊碑

原爆の犠牲者は日本人ばかりではありません。8月6日原爆投下当時、広島市には居住者、軍人、通勤、作業動員され周辺町村から入市した人を含め約35万人いたとされております。日系米国人、ドイツ人、当時日本の植民地から来た朝鮮、台湾、中国大陸、そして米兵捕虜などが、いやおうなく原爆の戦禍に巻き込まれました。日本人の次に多くの朝鮮人の方が犠牲となりました。広島市には約5万人の朝鮮人がいて被爆し、正確ではありませんが約3万人が亡くなったと言われております。日本は朝鮮を植民地としていました。その結果、生活基盤を失った多くの人たちは職を求めて日本に渡らざるを得ませんでした。また、戦争が激しくなると、強制連行や徴用によって、たくさんの朝鮮の人々が連れて来られました。日本名に変えられた「創始改名」により出身の名前がわからない朝鮮人が含まれていました。

【韓国人原爆犠牲者碑】韓国の慰霊碑は当初は平和公園区域外の本川橋西詰めにありましたが、1999年この場所に移設されました。カメをかたどった台座の上に碑柱が立ち、その上には二匹の竜が彫られた冠が載せられています


【韓国人原爆犠牲者碑】「死者の霊はカメの背に乗って天に昇る」という言い伝えにちなんで作られたそうです。カメの頭は犠牲者の祖国すなわち韓の方向に向いています




被爆遺構展示館


被爆の実相を直接見て肌で感じていただけるよう、原子爆弾による被害の痕跡が残る住居跡やアスファルト舗装された道路跡などを露出展示しています。被爆当時の町並みの遺構を通じ、平和記念公園を訪れる人々に、「この地」にはかつて多くの人が暮らす町があったこと、そして「この地に暮らしていた人々の日常がたった一発の原子爆弾により一瞬にして失われてしまったこと、そして被爆後の先人たちのたゆまぬ努力によ「この地」が平和の象徴としての公園として整備され、平和で美しい町として復興を遂げたことをご覧いただけます。(広島市HP)

【被爆遺構展示館】被爆前まで「旧中島地区」という繁華街があった。当時の住居や道路の跡を展示されおり、パネル写真や説明文章、再現映像から知ることができます


【被爆以降展示館】発掘調査では、60~90センチ下に住居や道路跡が見つかった。遺構は地中と比べ、空気に触れると劣化するが、惨状を伝えるため展示しております












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